1月17日 言えなかった「ありがとう」と「ごめんなさい」


22年前。この日になると思い出す。

阪神大震災で出会った女性のこと。

当時大学生の僕は避難所のボランティアをやっていた。
ある日、日付が変わりそうな時間に一人の女性が焚火のそばで座っていた。
表情や雰囲気が気になって話しかけてみた。

焚火の火で照らされた横顔から発した言葉。

「私は死にたい」だった。

震災で家も全焼して何も無くなった上に、家族が行方不明になってしまったとのこと。

「もう生きていても仕方ない」
火を見つめながら、彼女は言った。

 

「大丈夫ですよ。生きていればいいことありますよ。」
大学生の僕なりの精一杯のはげましのつもりだった。

 

「何がわかるの!全部!何もかも失った私の気持ちの何がわかるの!」

さっきまでうつろな表情の彼女からは、信じられない大きな声で怒りをぶつけてきた。

軽い言葉しかない僕には、次に続く言葉は何もなかった。

彼女は何も言わず立ち去った。
避難所でも姿を見なくなった。
自分の思いやりのなさに愕然としていた。

 

数日後、
彼女と再会した。
避難所にしている学校の校門のところで彼女は立っていて、
僕の方へ歩いてきた。

 

「ありがとうございました。」
謝ろうとした僕より先に、彼女は言った。

 

「母が生きていたんです。」
あの夜の後、彼女は家族を探すためにほかの避難所とかをまわって出会えたようだ。

 

「全部無くなったけど、母が生きていただけでよかった。生きていてよかった。」

「二人で一緒に生きていきます。ありがとうございました。」

 

何を言ったのかも覚えていない。
ただ泣いてしまったことは覚えている。

そして彼女とお母さんらしき女性が、こちらを見て会釈して去っていく後姿も忘れられないでいる。

1月17日。
毎年思い出すたびに考えてしまう。

相手に「いいこと」を言うのが優しさじゃない。

うわっつらの言葉は、自己満足に終わってしまう。

だったら、本当の優しさや本当の思いやりは何なのか?
そして僕はあの頃より優しくなれているのか?

 

誰かの支えになれる人間になれるように、僕はまだまだ頑張る。

 

そして思う。
彼女たちが今も元気でいてくれればいいなって。


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